コロナ陽性になったレポ
新型コロナウイルス感染症に罹ったのでせっかくなので日記を書きます。
(下書きすら一度消えてたので思い出しながら書いてます。。)
とはいえ7月末の出来事なので現在(2022年10月末)では参考にならないかもしれません。ご承知おきください。
-----
7月26日
テレワークで業務中、喉の痛みを感じる。
元々扁桃腺が腫れやすい体質のため、風邪気味になると喉が痛くなるので、いつものやつかなあと思いながらイソジンでうがいをするが症状が治まらない。
さすがに怠くて動けないので定時で仕事を切り上げることに。
早めにベッドに入るが眠れず、やっと眠れたと思ったが朝4時頃目が覚める。
7月27日
喉が痛くて声が出ない。さすがに様子がおかしいので体温を測ると39℃を超えていた。
具合悪くて焦る自分と冷静な自分が同居していて面白がっていたがとりあえず保健所に連絡(24時間対応してくださる体制に感謝。。。)。発熱外来を受け付けている病院を紹介してもらい、開院後連絡することに。
意識がぼんやりしているなか、使い慣れていない会社から貸し出されている携帯を使って社内に休みます、と連絡。
開院時間に病院に連絡するが、午前の予約はいっぱいとのことで午後一で診察を受けることに。発熱外来の人気をここで痛感。アイドルの握手会よりも厳しいレギュレーションである。
病院までは徒歩15分くらいの距離だったが頭が働かずGoogleマップの指示通り15分歩いた。(結果としては感染リスクがないのでよかったのだが)
発熱外来は通常の患者さんと動線が完全に分けられており、担当医はマスクもフェイスガードも防護服も完璧で、ああ俺は隔離されている、と感じながら待合室で待っていると小学生くらいの女の子が検査怖いと泣きながら父親に連れられてやってきて、その様子を見つめながらこっちだって泣きたいよ…と思っていた頃、診察室へ通された。そのあとは気付いたら鼻に棒を突っ込まれて検査を受け、予想通り陽性の判断を下された。
コロナウイルス感染症陽性者の過ごし方について、今後の対応の紙と、解熱剤を渡され帰宅。
Web上で保健所への連絡は可能ということで、便利な世の中に感謝しつつ、陽性になった旨の連絡と、生活支援物資の申込をして布団に入った。
病院から帰る途中に自販機でスポーツドリンクを数本買ったのがよかった。水だけではつらかった。
7月28日
喉が痛いので何も食べられず。食べても味がまったくせず、本当にコロナ陽性になったんだなあと実感しつつひたすら寝る。
とはいえ頭痛くて寝られないのでYoutubeをただただ見る。
頭が動かないのでShort動画がよくわからないまま一瞬で終わる。ゆっくり解説動画くらいの感じがちょうどよかった。
しかしスマホ見てると今度は目が充血して痛くて見てられないので、radikoを聴く。昼間のラジオを聴くなんて何年振りだろう。人の声を聴いていると落ち着くのか、いつのまにか寝ていた。
自宅療養で外出ができないのでWoltに頼んで飲み物やゼリーを手に入れる。本当にありがたいサービスができたなあ。。と感激する。
7月29日
あいかわらず寝たきり。やっと少し声が出るようになる。
保健所から電話がかかってきて状況の説明をしたような気がする。
たしかこの日にパルスオキシメータが保健所から届く。
これが本物かあ・・なんて思いながら指にはめて遊んでいたら床に落としてしまい慌てて拾う。壊れてなくてよかった。
7月30日
親戚が救援物資を届けてくれる。まったく思いつかなかったが、両親が連絡してくれていたらしい。
解熱剤が効いて少し元気に。しかし味覚も嗅覚もなく、好物のチキンラーメンをそのまま齧っても全く味がせず焦る。
Amazon Primeで配信が終わる前に、と慌ててシン・ゴジラを見るくらいの元気が出たていた。
普通に面白くてテンション上がって余計眠れなくなる。睡眠導入剤が役立つ。
8月1日
熱は下がって少し動けるようになったが、身体が怠くてほぼ動けない。
他に映画でも見ようか、と思ったがいつのまにか寝ていて何もできずに一日が終わる。
仕事を休んでしまって申し訳ない気持ちで少し泣く。
8月2日
床に捨てていたペットボトルの山を見てボトラーになることを一瞬考えるがやめた。
流石にこれはやばい、と溜まっていた食器を洗う。
少し動いただけで力尽きて寝ていた。
いまだに味覚嗅覚が戻らず焦り始める。
8月3日
噂に聞いていた市からの救援物資が届く。
トイレットペーパーなども入っていたが、普段自分が使っているものよりも質がいいものが入っていて驚く。
アルフォートとRITSが入っていて本当に喜ぶ。チョコレートの甘さとビスケットのしょっぱさはわかった。住民税はちゃんと納めようと心に誓う。
生命保険と医療保険それぞれの保険会社に連絡して保険が出るか確認すると、入院保険は適用になると聞いて少し元気になる。
8月4日
鼻づまり、のどの痛み、味覚嗅覚の異常、怠さ以外は元気になってくる。
とはいえ体力が落ちていて動けないので横になっていたら一日が終わった。
8月5日
本当は行きたいライブがあったが療養期間のため行けなかった。
1週間まるまる仕事しなかったことに罪悪感を覚える。
週末東京へ出かける予定だったので、飛行機とホテルをキャンセルする。
コロナ感染で健康保険の傷病手当金について調べる。少し賢くなる。生活ができなくなることはないことを知って安心する。
8月6日
溜まっていた洗濯物を片付ける。ごみの山を片付ける。掃除機をかける。
半分くらい味覚嗅覚が戻る。
人間らしさを取り戻す。
8月7日
早朝に休養期間明けの連絡が来る。
近くのコンビニまでご飯を買いに行く。うれしかった。空気がおいしい気がした。
往復10分の距離を歩いただけでくたびれる。
うっかり酒を飲んで体調を崩す。
8月8日
仕事復帰。
-----
■感染経路
思い当たる状況が何もなくて驚いている。
数日前にスーパーに買い物に行ったくらいしか外出はしていないし、基本テレワークなので人混みや、感染対策がなされていない空間にも行かなかった。
オミクロン株が流行し、感染者数が激増していた状況だったとはいえ、まさか自分が罹ると思っていなかった。
■コロナを通してわかったこと
・意外と死なない
報道などでは最悪のケースが報道されていたが、死に至ることはなかった。
まだ特効薬が無いとはいえ、解熱剤の力を借りながら自然治癒力に任せて回復を待つしかないので、ただの風邪だと言い張る人がいるのも仕方ない気はする。(私はそうは思わないが)
現在後遺症もないのは、療養期間中に本当にずっと寝て過ごしたので、休養は取れていたからだと思う。怠惰な性格が役に立つこともあるんだな、と関心。
・保健所、行政に助けられた
こんな状況下なので毎日たくさんの人の相手をしていることは想像が難しくないが、丁寧に日々の状況のヒアリングや対応をしてくれた。
物資の送付も本当に助かった。もらえるだけで本当にありがたい。
・保険は入っておいた方がいい
この記事を書いている時点(2022年10月末)では状況は変わっていると思うが、入院保険の対象になると思っていなかった。
自分は健康だから、と思わないで掛け捨てでも保険は入っていた方がよいと感じる。
今回の保険給付がきっかけで保険の見直しをしつこく営業されることになってしまったが、それはそれである。。(面倒)
・備蓄はしておいた方がよい
自分が動けなくなった時の備え、食べ物や飲み物は最低限用意しておくべきだと今回感じた。
たまたま冷凍食品の弁当や、カップ麺などがあったからよかったが、これがなかったら物資を得られるまで空腹に耐えられなかったかもしれない。
正直宅配サービスもコストはかかってしまうので、安く済ませたいのであれば普段からの備蓄は大切だと思った。
あとは風邪薬や頭痛薬も用意しておこうと思う。
・独り身でよかった
今回ばかりはよかった。家庭内でパンデミックになってしまったり、小さい子供や年老いた家族がいた場合はもっとパニックになっていただろう。
自分が黙って寝ていればよかったので、そういう意味では気持ちも楽だった。
・健康ってありがたい
仕事が忙しいときは「コロナに罹って休みてえなあ」なんて思っていたが、実際に罹るとそれはそれで大変。健康ってありがたい。(凡コメント)
まだまだ安心できない状況が続いていますが、なんとか乗り切っていきましょう。
指圧
今年の冬からずっと体調が悪い。
ある日、どうにもこうにも頭痛が治まらず、溜まった仕事をあきらめ、定時で退社することにした。
その時ふと、首肩のコリをどうにかした方がよいのでは、とひらめき、これはエジソンもびっくりなひらめきだ、などと思いながら整体や指圧の店を探したがどこも空きがなかった。
そんな中、チェーン店の整骨院に電話したところ空きがあり、施術を受けることができた。
その整骨院につくなり
\イラッシャイマセー/ \イラッシャイマセー/
\イラッシャイマセー/
と院内にいるスタッフ全員が大声で声をかけてくれた。
ここはラーメン屋だったのか・・・と思っているうちにベッドに案内され、施術を受けることになった。
特に人目は気にしないで別によいのだが、施術室は広い空間に特に仕切りもなくベッドが数台置かれているだけだったので、ここがラーメン屋なら俺はこれから煮込まれる豚か・・・いい出汁取れるだろうか・・・とぼんやり思いながら施術を受けた。
担当の方の見立てによると、どうやら身体が歪んでいることが頭痛の原因になっており、まずは整体をして身体を整えてから都度指圧をしていくのが効果的とのことだった。
歪みを整えるくらいなら痛くないだろう、と思っていたが最初から激痛が走った。
ああああぁ・・・と思わず声が出てしまい、大丈夫っすかwwと心配されてしまった。
とはいえもう大人なのでそこは余裕を見せないといけないと思い、ハハッ・・だいじょうでゅ・・・と大丈夫アピールをしようとしたところ噛んでしまった。もう余裕もへったくれもなかった。
40分ほど施術をしていただき、すっかりボロ雑巾のようになってしまった。
どうですか、よくなりましたか、と担当の方が声をかけてくれたが、呆然としてしまっていたので、あっ・・ハイ・・・程度の適当な回答しかできなかったので担当の方がガッカリしてしまった。申し訳ないことをした。
それからは週1回程度指圧に通っていた。指圧も痛かったが、明らかに肩がほぐれ、頭痛が収まる。元気になっては平日で消耗し、また指圧で元気になって、を繰り返していた。
しかしそれも長くは続かなった。
ある日、指圧をしてもらいに整骨院を訪れたところ、見知らぬスタッフがいた。
いつも担当してもらっている方が不在のため、代わりとのことで担当すると説明を受け、施術をしてもらった。
すると開口一番、あなたの身体は指圧ではどうにもなりません、全身整体を行わないと解決しません。突然ですがこれからさせていただきます、と言い出したのである。
たまたまその日は指圧のあと予定があり、それは困ると伝えたが、どうしても整体をする、とスタッフは粘ってきたので、いやいや困ります、とのやり取りを10分くらいするハメになった。
明らかにこちらの口調も面白くない雰囲気がでているので、相乗効果でスタッフも口調が悪くなっていったが、とりあえず指圧をすることになった。しかし30分枠のところ10分は無駄なやり取りで終わっているので20分だけである。当然金額が3分の2になるわけもない。
スタッフになぜそんな情熱があるかはわからないが、指圧をしながらも、そんなに大切な予定って何ですか、と食い下がってくる。面倒くさい。
正直に、この後の予定は歯医者の検診で、予約がなかなか取れないのでやっと行けるんだ、と伝えたところ、あなたは歯まで悪いんですか、大変ですね、と強い口調で言い放ってきたのでもう二度と関わりたくなくなった。
まだ雪の残る、3月のことだった。
今考えても何故そんなことまで言われて施術を受けなければいけなかったのだろう。
そしてあのスタッフは何だったのだろう。本人曰く自分はいつもは予約でいっぱいで人気があるとのことだったが、腕は確かだったのだろうか。
ということで今は他の整体を探している。
大きい街はお店も選択肢がたくさんあってありがたいなあと思いつつ、選択肢がありすぎて選べない。
醤油
残業続きでしんどい帰り道。
帰りに寄ったスーパーでパック寿司が半額になっていたので
がんばったからこれ食べて元気出そう、とカゴに入れてお会計。
上機嫌で帰宅してキッチンでパックを開けて
醤油を手に取り寿司にかける
ああ…もう少しで幸せがそこに…
違和感に気付く。
醤油が透明なのだ。
???
おかしい。そんなものは我が家にはない。
はて…?
(ここまで1分)
左手を見る
!!!!!
翌日お腹壊した。
アゲインストザペイン
BiS2nd / アゲンストザペイン [I Don't Know What Will Happen TOUR FiNAL]@Zepp Tokyo [OFFiCiAL ViDEO]
第2期BiSが解散した事実が数日経ってじわじわ効いてきた。
BiSは新生アイドル研究会(Brand-new idol Society)の略であり
アイドルを研究し、新しいアイドルを作っていこうという趣旨で活動していた。
(…というのは第1期の序盤だけでほとんど形骸化しているのだが。)
第1期BiSは痛々しいほどに「売れる」ことに着眼点を置いていた。
そのためには全裸になることも、100㎞を1日で走ることも、車中泊での全国ツアーも、何もいとわなかった。
当時、社会人になりたてで会社にもなじめず、かといってプライベートも何もない自分にとって、刺激的なコンテンツであったし、「俺もがんばろう」と素直に思えるほどまっすぐで痛々しく、愛しいものだった。
気が付けば同じCDを何枚も買い、チェキを取り、北海道に来てくれる時には必ずライブに行っていた。今の自分の原点となったことは間違いない。
第1期BiSの解散ライブは仕事で見に行けず、後悔を引きずってところに第2期BiS始動の知らせが舞い込んだ。
リーダーであり発起人であるはずのプー・ルイが何故かオーディション合宿でメンバーになれるか天秤にかけられ、必死に戦う姿はこれこそBiSだ、と感じていたが、不思議なことに、徐々に第1期のような思い入れが自分の中になくなっていた。
第2期BiSはとにかく理不尽な状況に置かれていた印象がある。
そんな中、彼女たちなりにもがいて自分たちらしさを求めた結果、集大成となるラストツアーのセミファイナル。
札幌で見た最後のBiSの姿は、「BiSではない何か」の完成形だった。
もちろんパフォーマンスはすばらしかったし、気合も十分すぎるほど伝わってきた。
だが、第1期BiSで感じたあの高揚感は得られなかった。
解散を選んだ状況を受け入れること、自分の中でBiSに対する気持ちを咀嚼するには十分だった。
彼女たちが生き抜くため、自分たちを貫くために戦ってきた結果がこうだったとしたら、これほど切ないことはない。
今はただ、彼女たちの今後が幸せなものであることを祈るばかりだ。
約3年、楽しい時間をありがとう。
今となっては「アゲインストザペイン」の歌詞が重たく響く。
あぁなんだこんな簡単だったんだ